Gooderham Building- グッダーハム・ビルディングとは?
トロント、そしてカナダ全体において、現存するなかでもとても貴重な歴史的建造物です。
✓City of Toronto Inventory of Heritage Inventory – トロント市の遺産(1973年)
✓ Ontario Heritage Act- オンタリオ州遺産(1975年)
✓ カナダの国定史跡(1988年)
✓ Flatiron Building- フラットアイアン・ビルディングと通称呼ばれる建造物では初期のもの
現在と同じ形である「The Gooderham Building- グッダーハム・ビルディング」は、あのニューヨークの有名なフラットアイアンビルよりも10年前の1982年に建てられました。
「The Gooderham Building– グッダーハム・ビル」別名では「The Flatiron Building- フラットアイアン・ビルディング」や 「Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハムのフラット・アイアンビルディング」とも言われ、トロントに現存する「The Flatiron Building– フラットアイアン・ビルディング」の内の一つです。そして、歴史的なオフィスビルでもあります
トロントの市内観光などでも、必ずと言っていいほど、案内される場所、建造物の一つでも知られている「The Gooderham Building– グッダーハム・ビルディング」は、トロントで最も象徴的な景色の一つとなっています。
旅行ガイドブックや、お土産のポストカードでもよく見かけることが出来ます。
Gooderham Building- グッダーハム・ビルディング【概要】
所在地: 49 Wellington St E, Toronto, ON M5E 1C9 Canada(→ Openstreetmap)
電話: +1 416-392-1975
建築家:David Roberts Jr.- デイビット・ロバーツ・ジュニア
建築様式:Romanesque Revival
地上高: 16.70 M (54.8 ft)
階数: 5階
竣工: 1892年
Ontario Heritage Act- オンタリオ州遺産法: 1975年指定
現在の所有者:Commercial Realty Group
詳細地図:
トロントの金融街「Financial Distrit」の東端(Yonge Streetの東側)、St. Lawrence– セントローレンス地区に位置し、トロントのダウンタウン「Downtown Toronto」 にある「Scott Streets– スコット・ストリート」、「Front Street– フロント・ストリート」、「Wellington East Street– ウェリントン・イースト・ストリート」の間にくさび形の角に位置する様に挟まれた土地に位置しています。
Gooderham Building- グッダーハム・ビルの現在
所有・管理
The Commercial Realty Group という、1990年にペンシルバニア州レモインに設立された、ビジネスや投資の機会、オフィスや小売店の立地、倉庫や工業施設など、商業および産業用の販売とリースを専門としたアメリカの会社が行っています。
芸術において
Gooderham Building– グッダーハム・ビルディングは、その狭いくさび形と、その後ろの壁に描かれた壁画でよく知られています。著名なカナダ人芸術家、Derek Michael Besant- デレク・マイケル・ベサントによる「The Flatiron Mural 」(下記画像)は、だまし絵のような効果を用いて、壁に実際よりも多くの窓があるように見せるだけでなく、壁の端が「tacked– 張り付け」られていないところでは「fluttering– はらはら」と舞うことで、より動きのある効果を与えています。
建築学的において
Gooderham Building– グッダーハム・ビルディングは、4階のアーチ型の窓の上に Romanesque- ロマネスク様式の cornice- コーニス(壁または柱で支えられた水平材を飾る帯)と frieze- フリーズ(エンタブラチュアの中央の、幅広い部分)が施されています。Wellington Street- ウェリントン通りにある正面玄関は、French Gothic- フレンチゴシックのアーチを利用しています。基礎は砂岩でできています。急勾配の銅屋根には、南面に4つ、北面に4つの計8つの gable dormers- ゲーブル・ドーマー(三角形の屋根、屋根に小さな空間を設けて窓を取り付けている)があります。
すべての階に均等に配置された直線的なパターンの fenestration- ファネストレーション(窓、ドア、天窓など、建物の封印の開口部などの開窓を追加する事により、光が入るようにし、全体的な屋内環境を強化する事)により、企業のオフィスビルとしての軽快さが感じられます。
Gooderham Building– グッダーハム・ビルディング は、地上から半階分の高さの基礎の上に建っています。
現在もオフィスビルとして使用されています。
1階は、南側に長方形の引き違い窓がありますが、北側には固定窓があります。
逆に2階は、南側に固定窓、北側に長方形のスライドする窓を採用しています。
3階、4階、5階には、single-hung windows- 開き窓もしくは 一枚戸上げ下げ窓と arch-hung windows- アーチ形の開き窓があります。
Gooderham Building- グッダーハム ・ビルには3つの出入り口があります。
そのうち2つは、地下にあるパブ「The Flatiron and Firkin」につながっています。入り口のドアは2枚1組で、窓には木製のフレームが使われています。地下のパブには、建物の南側に大きなパティオがあります。パブの入り口は、地下1階と Front Street- フロントストリート側の1階にあります。ビルからパブへの一般的なアクセスはありません。
Flatiron Building- フラットアイアンビルのエントランスは北側にあり、French Gothic styling- フレンチゴシック様式の派手な pinnacle dormers- ピナクルドーマー(主に装飾建築物)とアーチフレームで構成されています。
Gooderham Building- グッダーハム・ビルディングの歴史
Coffin Block Building- コフィン・ブロック・ビルディングは、カナダのオンタリオ州トロントで最初に建てられたFlatiron Building- フラットアイアン建築物です。
Coffin Block- コフィン・ブロックから始まる
1830年には、現存している資料から、既に現在「The Gooderham Building– グッダーハム・ビルディング」が建っている敷地内に、今よりも背が低い 「Coffin Block- コフィン・ブロック」が建っていたことが分かっています。
19世紀末には、著名なビジネスマンが街への影響力を象徴するような壮大な建築物を建てることが流行しており、 Gooderham- グッダーハムもそれに倣いました。
Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハム・フラット・アイアンビルへ
Gooderham and Worts- グッダハム・アンド・ウォーツ蒸溜所の創業者 William Gooderham- ウィリアム・グッダーハムが、息子である蒸溜師 George Gooderham Sr.– ジョージ・グッダハム・シニア(1830-1905) の為に、建築費は18,000ドルという、当時としては驚異的な金額で「Coffin Block Building- コフィン・ブロック・ビル」を購入しました。
そして、古いホテルを取り壊し 、建築家の David Roberts Jr.- デビッド・ロバーツ・ジュニアに設計をさせ、 1892年、 赤レンガ の「Gooderhams’ Flatiron Building( Gooderham Building )- グッダーハムのフラットアイアン・ビル」に建て替えが完成させました。
St. George Street– セント・ジョージ・ストリートと Bloor Street– ブロアー・ストリートの北東の角にある Gooderham’s residence– グッダーハムの邸宅(現在は York Club– ヨーク・クラブがあります)と美的感覚がよく似ており、同じ建築家の David Roberts Jr.- デビッド・ロバーツ・ジュニアが設計したものです。
この建物は、真後ろの建物の南側の壁の上に建てられていたため、もともと壁は3枚しかなかった事も分かっています。
1952年まで、 「The Gooderham Building- グッダーハム・ビルディング」 はGooderham and Worts- グッダーハム・アンド・ウォーツ蒸溜所の事務所として使用されていましたが、1957年に Gooderham- グッダハム家によって Velco Investments に売却されました。
1973年、60万ドルを投じて David and Thomas Walsh- デビッド&トーマス・ウォルシュ夫妻の手に渡りました。
この頃には、老朽化したランドマークには修復が必要だったため、オーナーである David and Thomas Walsh- デビッド&トーマス・ウォルシュ夫妻は50万ドルをかけて修復し、その後、オフィスとして貸し出しました。
オンタリオ州トロントの遺産物件に登録
同年の1973年、 「The Gooderham Building- グッダーハム・ビルディング」 は City of Toronto Inventory of Heritage Inventory – トロント市の遺産目録に登録されました。
1975年に買収された後、David Walsh氏とRobert Phillips氏によって保存(一部修復)されました。
同年、1975年に Ontario Heritage Act- オンタリオ州遺産法により史跡に指定されトロントの遺産物件となりました。
1977年に Ontario Heritage Foundation- オンタリオ州遺産財団(現在名:Ontario Heritage Trust)が遺産保存権を取得しました。
Ontario Heritage Trust- オンタリオ遺産トラスト(フランス語:Fiducie du patrimoine ontarien)は、オンタリオ州観光文化省の非営利機関です。カナダで最も人口の多い州であるオンタリオ州の建造物、自然、文化遺産の保護、保全、促進を担当しています。
Ontario Heritage Act- オンタリオ州遺産法により史跡に指定された建築物には、同法で保護された建物であることを示すプレートが設置されています。(下記画像)
Distillery District- ディスティラリー・ディストリクトとして出発
1990年代、トロントの Toronto waterfront- ウォーターフロントにあった同社の蒸溜所施設は閉鎖。 1860年代に建てられた建物は保存され、Distillery District- ディスティラリー・ディストリクトと呼ばれる芸術・娯楽地区として再利用されました。
カナダの国定史跡の1つに
1998年、Gooderham and Worts Distilleryは、カナダの国定史跡のひとつに選ばれました。
1998年、Michael Tippin氏とAnne Tippin氏が購入し、夫妻により忠実に更なる修復が行われました。
1999年に220万ドルで売却。
2005年に1010万ドル売却。
2011年10月12日、Woodcliffe Corporation- ウッドクリフ社は、この建物を 1,530万ドルで売却することを発表しました。
現在は、The Commercial Realty Groupが所有・管理しています。
source: http://www.biographi.ca/en/bio/,
https://www.blogto.com/city/2011/01/nostalgia_tripping_the_flatiron_building/
オンタリオ州遺産法(The Ontario Heritage Act)とは?
オンタリオ州遺産法(The Ontario Heritage Act)は、1975年3月5日に制定されました。
カナダのオンタリオ州内の個々の資産や地区を、文化遺産としての価値や関心があるものとして、自治体や州政府が指定することを認めています。
Ontario Heritage Act- オンタリオ州遺産法により史跡に指定されると、その建築物には証としてプレートが設置されます。
蒸留業社「Gooderham and Worts社- グッダーハム アンド ウォーツ社」の歴史
Gooderham and Worts社は、Gooderham and Worts Limitedとして知られているカナダのアルコール飲料の蒸留業者です。
蒸留業社「Gooderham and Worts社- グッダーハム アンド ウォーツ社」の歴史については、こちらのページにてご紹介しています。併せてご覧ください。
→ 蒸留業社「Gooderham and Worts社- グッダーハム アンド ウォーツ社」の歴史
Gooderham Building- グッダーハム・ビルディングの軌跡
現存する最古の画像 ー 1838年~( Coffin Block Building- コフィン・ブロック・ビルディング時代 )
「Coffin Block Building- コフィン・ブロック・ビルディング」は、1839年から1842年にかけてのバートレットの版画「Fish Market- フィッシュ・マーケット」にも登場しています (上画像赤丸) 。
さらに調べてみると、 バートレットの版画「Fish Market- フィッシュ・マーケット」は、1830年代前半のものと分かっています。
この事から、既に1830年には、「Coffin Block Building- コフィン・ブロック・ビルディング」が建てられていたことになります。
「Coffin Block Building- コフィン・ブロック・ビルディング」は、3階建ての Georgian- ジョージアン様式(1714年から1830年の間に流行した建築様式)の建物でした。
地下には1830年から1835年まで William Weller (of Cobourg) Stagecoach Company- ウィリアム・ウェラー(コバーグ)駅馬車会社のオフィスがありました。 J.M.McCuaigという名前の会社が有った事も分かっています。
1845年には Church Street- チャーチ・ストリートのホテル「The Wellington– ウェリントン」の別館となりました。
※まだこの頃は、現在の建物の頂点にある Stagecoach Company- ステージ・コーチ・オフィスは有りませんでした。
現存する画像 ー 1872年、1885年、 1888年、約1888年 ( Coffin Block Building- コフィン・ブロック・ビル時代 )
1855年から1881年までは、M & L Samuel Company(現Samuel, Son & Co.)がこの建物を拠点として活動していました。
この年代、Gooderham’s business holding は、蒸留所のほかに、Toronto and Nipissing Railway- トロント・ニピシング鉄道や Manufacturers Life Insurance Company.- マニュファクチャラーズ生命保険会社などの事業を展開していました。
1882年には、George Gooderham は設立者となった Bank of Toronto- トロント銀行の頭取に自ら就任しました。
1890年には既に Front and Church Streets- フロント・ストリートとチャーチ・ストリート の角にあった銀行の本店は、わずか6年前の1884年に Gooderham- グッダーハムが建設したものですが、1892年には別の本店が建設されたにもかかわらず、すでにオフィススペースが不足し始めていました。
現存する画像 ー 1890年代(Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハムのフラットアイアンビル時代)
1892年、 赤レンガ の「Gooderhams’ Flatiron Building( Gooderham Building )- グッダーハムのフラットアイアンビル」に建て替えが完成しました。
建物の頂点にある Stagecoach Company- ステージ・コーチ・オフィスは、この時に追加されたものです。
Gooderham- グッダーハムのオフィスは、最上階の cupola- キューポラ(円頂塔、建築物の上にある比較的小さい、円錐形のドームのような構造物)の真下にありました。
そこからは、港に停泊中の船、海岸に沿って作られた道路を走る列車、銀行の従業員、蒸留所、そして当時建設中だった King Edward Hotel- キング・エドワード・ホテルなど、彼の商売のすべてが見渡せました。
THE OMNI KING EDWARD HOTEL
Official website : THE OMNI KING EDWARD HOTEL
Address: 37 King St E, Toronto, ON M5C 1E9 Canada
都市再生の波に耐えた、Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハムのフラットアイアン・ビルディング
1950年代後半から1960年代前半にかけて、 Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハムのフラットアイアン・ビルディングは、都市再生に反対する人々の努力の象徴となりました。
City of Toronto Archives- トロント市公文書館の写真を見ると、残念な事に St. Lawrence Market- セントローレンス・マーケット周辺の多くの建物が壊され、駐車場に建て替えられています。
その取り壊された建物の中には、通りの反対側にある銀行のビルや、フラットアイアンの裏手にあるビルも含まれていましたが、Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハムのフラットアイアン・ビルディングは、当時先進的とされていた都市再生の考え方の破壊的な影響を受けずに済んだのです。
現存する画像 ー 1970年代(Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハムのフラットアイアン・ビルディング時代)
ブロックを独り占めしている時の The Flatiron Building- フラットアイアン・ビルディングの画像(上画像)は、トロントのダウンタウンにおける再開発の様子を、住宅を中心とした19世紀の建築物の解体を中心に記録した写真の1つです。
source: https://www.blogto.com/city/2011/01/nostalgia_tripping_the_flatiron_building/,
https://thebulletin.ca/berczy-park-history/series-8-subseries-4-photographs-of-robert-and-harold-stacey/
近年の画像 ー 2017年(Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハムのフラットアイアン・ビルディング時代)
近年の画像 ー 2018年(Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハムのフラットアイアン・ビルディング時代)
source: torontopubliclibrary.ca
Gooderham Building- グッダーハム・ビルディングと周辺の歴史
1891年に建てられたこのビルは、あのニューヨークの有名なフラットアイアン・ビルディングよりも10年前に建てられたもので、Church Street-チャーチ・ストリート、 Wellington Street– ウェリントン・ストリート、Front Street– フロント・ストリー の頂点に堂々と立つその存在自体が、1960年代の都市再開発への反抗を象徴するものとなっています。
私たちにとってはいつもそこにあるものですが、この建物が建設される100年前から、かつてこの地域を故郷としていた人々にとっては、私たちにとっての Gooderhams’ Flatiron Building と同様に重要で歴史的な建物だったのです。
1800年頃の Church Street- チャーチ・ストリート
1800年頃、Church Street– チャーチ・ストリートは町の外れとされ、当時マーケット・ストリートと呼ばれていた Wellington Street– ウェリントン・ストリートは、町にやってくる農家の人たちが自分たちの生産物をマーケットで売るためのアクセス道路でした。
他にここまで出てくる理由は、Front Street– フロント・ストレートのすぐ南、Church Street– チャーチ・ストリートのふもとにある Coopers wharf– 小さな波止場に郵便物を取りに行ったり、旧友に別れを告げたり、巨大な木製の鉄塔の上にあったヨークで最初の雑貨店で買い物をしたりすることくらいだったと思われます。
この地域の主要な建築物は、Scott Sts.とFront Sts.にあるScott判事の自宅(当然、彼にちなんで名付けられた)と、現在 King Edward Hotel が建っている場所にあるヨーク初の監獄だけでした。
1820年、ヨークに到着したスコットランド系フランス系カナダ人の Peter MacDougal– ピーター・マクドゥーガルは、後に Church Street-チャーチ・ストリートと Wellington Street– ウェリントン・ストリートになる角に小さな農家を建て、現在 Pizza-Pizza が建っています。
この土地は、かつて Attorney General John Macdonell- 司法長官 ジョン・マクドネルが所有していました。マクドネルは、1812年の戦争中に Queenston Heights– クイーンストンハイツで戦死した General Isaac Brock– アイザック・ブロック将軍のキャンプ補佐官でした。
今日、Church Street-チャーチ・ストリートと Wellington Street– ウェリントン・ストリートを歩いていると、戦場で死にかけていた Macdonell– マクドネルが、いつか戻ってきて自分の家を建てるという希望を持って、愛するヨークのこの一角に思いを馳せていたのではないかと思わずにはいられません。
この土地は、カトリックから英国国教会に改宗することを条件に、甥の James– ジェームズに引き継がれ、彼が Peter MacDougall– ピーター・マクドゥーガルに貸与しました。
ホテル「Ontario House- オンタリオ・ハウス」の誕生
1829年には、John Brown- ジョン・ブラウンによって改装され、Ontario House– オンタリオ・ハウスと呼ばれるホテルとなりました。
この年の地元新聞記事にはこう記されています。
「Church Street-チャーチ・ストリートの角に建つ The Ontario House– オンタリオ・ハウスは、当時ナイアガラの滝やアメリカでよく見られたスタイルのホテルです。よく成長した松の木を削って滑らかにした高さのある柱が地面から軒先まで並び、柱の後ろを通る2本のギャラリーを支えているが、柱の縦のラインを邪魔していません。」
ホテル「The Wellington- ウェリントン ホテル」に改名・誕生
1845年、The Ontario House– オンタリオ・ハウス ホテルは Russell Inglis– ラッセル・イングリスに引き継がれ、The Wellington– ウェリントン ホテルと改称されました。少年時代、スコットランドのレストランで働いていた Russell Inglis- ラッセル・イングリスは、小説家の Sir Walter Scott (Ivanhoe)– ウォルター・スコット卿(アイヴァンホー)を接待し、後にスコットランドの名士との会話を再現して客を魅了しました。
The Wellington– ウェリントン ホテルが繁盛したのは、この地域が駅馬車の終着駅になっていたからであり、宿泊客のために十分な部屋を用意するために、彼は通りの向かいにある「The Coffin Block- コフィン・ブロック」を併合しました。
棺桶のような形をしていたことから名付けられた「The Coffin Block- コフィン・ブロック」は、現在の Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハムのフラットアイアンビルが建つ Front Street、Church Street、Wellington Street の3つの通りの頂点にありました。
駅馬車会社の本部
「The Coffin Block- コフィン・ブロック」は、3階建てで、屋根は平らで、地下には Upper Canada– アッパーカナダの様々な地域(もちろん道路が整備されている場所)へのステージコーチ(馬車)の旅を予約する場所がありました。これは、列車が登場する前の Union station- ユニオンステーションとなります。
1816年には、ナイアガラの滝まで馬車で4日かかっていました。
1816年9月20日付の広告には、「毎週月曜日にYorkを出発し、木曜日に Niagara– ナイアガラに到着し、毎週金曜日に Queenston– クイーンストンを出発します。荷物は所有者の危険負担となり、運賃は前払いとなります」と記載されていました。
1835年、この地下室は、William Weller (of Colbourg) Stagecoach Company- ウィリアム・ウェラー(コルブール出身)駅馬車会社の本部となりました。
William Weller- ウィリアム・ウェラーは、ここから Hamilton– ハミルトンまで、Telegraph Line– テレグラフ・ラインとして知られる Stage road– 馬車道ステージのラインを運営していました。
広告の中で、彼は乗客に「冬の季節には、昼間に湖岸道路を通って連れて行く」と伝えています。
トロントに初のガス街灯が灯る
1841年12月28日に「The Coffin Block- コフィン・ブロック」の前で起きた出来事は驚異的としか言いようが有りません。それは、トロントが暗黒時代から抜け出したのは、その場所で初めてガス街灯に火を灯したときだったのです。
この新しい道具によってトロントはガス時代に突入し、人々は初めてこの素晴らしい発明品のぼんやりとした光の下で夜を歩くようになりました。
街路灯が設置される前は、夜の外出は危険な仕事でした。今でも数本の街灯が一斉に消えると、ちょっとした恐怖感を覚えます。石炭を原料とするこの新しい発明のためのガスを供給したのは、 William Weller- ウィリアム・ウェラーの息子である Charles Berczy- チャールズ・バーツィ(Berczy Park- バーツィ・パークは彼らにちなんで名付けられた)で、彼の会社はやがて成長して Consumers Gas- コンシューマーズ・ガスとなります。
有名ホテル Ontario House- オンタリオ・ハウスの消滅
1860年、Russell Inglis- ラッセル・イングリスが亡くなり、彼が経営していたホテル(かつての有名な Ontario House- オンタリオ・ハウス、現在は Wellington– ウェリントン)は取り壊されました。
Bank of Toronto-トロント銀行の旧本部
1862年、この場所(現在の Pizza-Pizza)は、Bank of Toronto-トロント銀行の本部となりました。
建設当時、この Bank of Toronto-トロント銀行の本部は市内で最も洗練された豪華な建物であり、もし現在も建っていたら、観光客のカメラの注目を集める The Flatiron Building- フラットアイアン・ビルディングと肩を並べることになってたでしょう。
この2つの銀行が同じ人物のために建てられたのも不思議ではありません。 George Gooderham- ジョージ・グッダーハムは、Gooderham and Worts distillery- グッダーハム&ウォーツ蒸留所を所有する一族でした。
1832年、Yorkshire– ヨークシャーからやってきた George Gooderham- ジョージ・グッダーハムの父 William Gooderham- ウィリアム・グッダーハムは、資金と54人の家族を連れてきて、1年前にやってきた義理の兄弟 James– ジェームズが Parliament– パーラメント・ストリートと Mill Sts.– パーラメント・ストリートとミル・ストリートでベーカリービジネスを展開するのを助けました。
Gooderham and Worts- グッダーハム・アンド・ウォーツ社へ改名
1834年、James Worts- ジェームズ・ウォーツは、出産時に妻を亡くして落胆し、自殺してしまいます。
William Gooderham- ウィリアム・グッダーハムは、7人の息子たち(6人の娘たちは、19世紀の育ちの良い女性たちと同様、働くことを奨励されていませんでした)と、姉と James Worts- ジェームズ・ウォーツの死によって孤児となった甥たちと一緒に、工場を管理し、社名を「Gooderham and Worts- グッダーハム・アンド・ウォーツ」に改めました。
工場名の「Worts- ウォーツ」は、James Sr.- ジェームズ・シニアの名前ではなく、父方の事業を引き継いだ長男のJames Gooderham Worts- ジェームズ・グッダーハム・ウォーツの名前です。
1837年、 Gooderham and Worts- グッダーハム・アンド・ウォーツ社は小麦の副産物を蒸留して酒にし、喉の渇きを癒しました。
トロントは、人口100人に1軒の割合で酒場があるようなサロンの多い街で、ビクトリア朝時代の理想主義的な雰囲気を漂わせていた。 当時、ビールは今日の水のように飲まれていました。
母親は赤ん坊にビールを飲ませ、子供たちは街中で堂々とビールを飲み、判事や聖職者は仕事中に飲んでいました。それもそのはず、当時の水は不潔で味も最悪だったのです。
死んだ馬、猫、犬、糞尿、日常のゴミなどがオンタリオ湖の氷の上に投げ捨てられ、氷が溶けると汚水が湖に沈み、人々はそれをそのまま飲んでいました。
その結果、前述のコレラが発生し、何千人もの人々が命を落としました。
ビールは死の代替物のように思えたのです。
Gooderham and Worts distille- グッダーハム&ウォーツ蒸留所の建設
Gooderhams- グッダーハム家は、おいしいビールやアルコールを作る専門家になるとともに、非常に裕福になり、
1859年に大規模な建築プロジェクトを開始しました。
建築家の David Roberts Sr.– デビッド・ロバーツ・シニアの監督のもと、500人の従業員が、Parliament and Cherry streets– パーラメント・ストリートとチェリー・ストリートにある、現在最も古い建物である この2つの銀行が同じ人物のために建てられたのも不思議ではありません。 George Gooderham- ジョージ・グッダーハムは、Gooderham and Worts distillery- グッダーハム&ウォーツ蒸留所の建設に従事したのです。
Gooderham and Worts distillery- グッダーハム&ウォーツ蒸留所の建設には、4隻の巨大な lake schooners– スクーナー船を使って Kingston quarries– キングストンの石切り場から石を運び、1860年には工場の主要な建物である現存する製粉所が、当時のトロントで最も高価な建築プロジェクトである25,000ドルの費用をかけて完成したものでした。
Little Trinity Church- リトル・トリニティ教会を建設
1843年、William Gooderham- ウィリアム・グッダーハムは、 キング・イーストに Little Trinity Church– リトル・トリニティ教会を建設しました。当時、St. James Cathedral at King and Church– キング・アンド・チャーチにあったセント・ジェームズ大聖堂は、a pews fee– ピューズフィー(席料)を徴収しており、多くの労働者階級の英国人はそれを支払う余裕がなかったからです。
William Gooderham- ウィリアム・グッダーハムの財産が増えるにつれ、1885年から Gooderhams- グッダーハム家は Trinity Street と Sackville Street に労働者用のコテージを建て始めました(現在も残っている)が、富と権力を持ちながらも、Trinity Street と Mill Street の北西の角にある今は取り壊された家に労働者たちと一緒に住み続けたのです。
トロントでの階級意識が高まり、商業地と住宅地の境界線が誕生
1800年代後半、トロントでは階級意識が高まり、商業地と住宅地の境界線がはっきりしてきました。
1889年、William Gooderham- ウィリアム・グッダーハム の息子で家業を継いだ George Gooderham- ジョージ・グッダーハムは、Bloor Street– ブロア・ストリートと St.George Street– セントジョージ・ストリートの北東の角にあるファッショナブルな Annex 地区に、自分のために印象的な邸宅を建てました(現在も残っています)。
家業を完全に掌握した George Gooderham- ジョージ・グッダーハムは、家業を金融・商業の帝国へと発展させ、トロントだけでなくオンタリオ州全体で最も裕福な男となりました。
蒸溜所の繁栄に伴い、彼は施設を拡大し、Toronto and Nipissing Railroad– トロント・ニピシング鉄道、Manufactures’ Life Insurance- マニュファクチャラーズ生命保険、トロント大学や The Toronto General Hospital– トロント総合病院などの慈善事業など、自身の利益を拡大し始めました。
The Bank of Toronto- トロント銀行の頭取に
1882年、George Gooderham- ジョージ・グッダーハムは The Bank of Toronto– トロント銀行(TDの前身)の頭取となり、現在 Pizza-Pizza- ピザ・ピザが建っている Front Street– フロント・ストリートと Church Street– チャーチストリートの角、かつて Russell Inglis’s Ontario House Hotel– ラッセル・イングリスのオンタリオ・ハウス・ホテルが建っていた場所に The Bank of Toronto– トロント銀行 のグランド・ビルを建設し、本社としました。
1884年、George Gooderham- ジョージ・グッダーハムは、ベネチア風の銀行ビルのオフィスが混雑してきたため、部屋を増やす必要があり、隣に3階建てのオフィスビルを建てました。
銀行と同じくらい豪華な建物でしたが、現在は取り壊され、Church Street– チャーチ・ストリートに面したL字型のコンドミニアム Gooderham Court– グッダーハム・コートの一部となっています。
1890年になると、銀行も混雑してきたため、George Gooderham- ジョージ・グッダーハムが必要としていたのは、オフィススペースを増やすことだけではなく、かつてこの街を彩っていた壮麗な建物の中で際立った存在となることでした。
Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハ-ムのフラットアイアンビル:誕生
1891年、George Gooderham- ジョージ・グッダーハムは蒸留所を建設した建築家の息子である David Roberts Jr.– デビッド・ロバーツ・ジュニアに依頼し、18,000ドルという驚異的な費用をかけて、帝都の最後の名残であるGooderham Building- グッダーハム・ビルを建設しました。
5階にある緑の円錐形のキューポラの下にあるオフィスからは、眼下の交差点だけでなく、完成間近のキング・エドワード・ホテルをはじめ、彼が指揮を執るすべてのものが見渡せたといいます。
その眺めは、”Harbour” に停泊している船から、Gooderham and Worts distillery- グッダーハム&ウォーツ蒸留所 に続く Esplanade– エスプラネード(湖畔の遊歩道)を走る列車、遠くにいる彼が頭取を務める銀行の従業員までの全て、初代「Big Brother ※」(George Gooderham- ジョージ・グッダーハム )の届くところにありました。
※「Big Brother is watching you」
George Orwell – ジョージ・オーウェルの『Nineteen Eighty-Four』から引用された言葉で、民衆の意思をコントロールして抑圧する手段として、自分の行動や意図が政府によって監視されていることを意味します。
そして George Gooderham- ジョージ・グッダーハムは、この界隈の偉大な伝説のひとつとなる、Wellington Street– ウェリントン・ストリートの下を通って彼が頭取を務める Bank of Toronto– トロント銀行につながるトンネルの建設を依頼していました。
1905年5月1日に George Gooderham- ジョージ・グッダーハムが亡くなったとき、St. James Cathedral– セント・ジェームズ大聖堂で行われた彼の葬儀は、小規模なものにしたいという彼の最後の希望に反して、街でも最大規模のものとなりました。
George Gooderham- ジョージ・グッダーハムの葬儀に人々は…
1905年5月1日に George Gooderham- ジョージ・グッダーハムが亡くなったとき、St. James Cathedral– セント・ジェームズ大聖堂で行われた彼の葬儀は、小規模なものにしたいという彼の最後の希望に反して、街でも最大規模のものとなりました。
George Gooderham- ジョージ・グッダーハムは、トロントの人々にとって偉大な恩人であり、建設者であり、愛された人物でした。彼の棺が St.James Cemetery– セント・ジェームズ・セメタリーに向かうとき、人々は敬意を表すために通りに並びました。
Bank of Toronto-トロント銀行の本社移転、旧本社建物の消失
George Gooderham- ジョージ・グッダーハムの死後、Bank of Toronto– トロント銀行は、トロントで最も美しいとされる建物への移転を計画し始めました。1913年にキングとベイの角に建てられた新本店は、1960年に取り壊され、同じく素晴らしい TD Center– TDセンター に建て替えられました。
(21本の Corinthian columns– コリント式円柱を備えたその記念碑的な建物の縮尺模型は、TD Center– TD センターのメインバンキングホールにガラス張りで展示されていますし、Guildwood Inn in Scarborough– スカボローのギルドウッド・インでは、古代ギリシャの劇場のように印象的な King Street– キングストリートの入り口が保存されています)。
1950年代後半から60年代前半にかけて、Church Sts.– チャーチ・ストリートと Front Sts. – フロント・ストリートを中心とした old downtown– オールド・ダウンタウンの中心部にブルドーザーの軍勢が押し寄せたとき、真っ先に姿を消した”宝石”のひとつが、George Gooderham- ジョージ・グッダーハム氏の銀行宮殿(旧本社)でした。 その頃には、100年分の煤と汚れで覆われた記録センターとなっていました。
その代わりに、当時としては受賞歴のあるデザインが採用され、以前の建物は取り壊され建て替えられました。このBank of Toronto– トロント銀行旧本社は、今でも一部が残っていて、Pizza-pizza (現在は閉店)に改装されていますが、初めて見たときは、この街で最も好きな小さな建物のひとつでした。
Gooderham– グッダーハム一族所有から離れ…
1957年、Gooderham estate- グッダーハム家は、彼らの名を冠した Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハ-ムのフラットアイアンビルを Velco investments– ベルコ・インベストメント社に売却し、Velco investments– ベルコ・インベストメント社は1973年に60万ドルで David and Thomas Walsh– デビッド&トーマス・ウォルシュ夫妻に売却しました。
彼らは、50万ドルをかけて Flatiron Building- フラットアイアンビルを改修し、解体から救ったのでした。
トロントを代表する歴史的建築物に
1975年11月、Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハ-ムのフラットアイアンビルはついに史跡に指定されました。
1998年、Michael and Anne Tippin– マイケル・アン・ティッピン夫妻 (※Tippin Corporation)が経営に乗り出し、Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハ-ムのフラットアイアンビルは再び丹念に修復されました。
※Tippin Corporation official website
今日の Gooderhams’ Flatiron Building- グッダーハ-ムのフラットアイアンビルは、内部を見学するために人々が列をなしています。これは、 Michael and Anne Tippin– マイケル・アン・ティッピン夫妻が共同議長を務める最近の Doors Open Toronto(※下部でご紹介しています)で見られた光景です。
40年前、私たちは Jetson- ジェットソンのような生活をしようと急いでいて、未来に向かって走るために邪魔なものは何でも壊さなければならなかったのではないかと思わずにはいられません。
トロントの建築黄金時代は、George Gooderham- ジョージ・グッダーハムのような産業界の大物たちが、永続的なモニュメントとなることを願って費用を惜しまずに建てたもので、実際にはあまり残っていません。
未来が到来した今、私たちの願いは、なぜこのような美しい宝物をもっと保存しておくことができなかったのかということです。
私は、霧がその背後に建設された近代的なきらびやかな都市を覆っているときに、Gooderhamを見るのが好きです。霧が立ち込めているときに見ると、最初に建てられたときの姿を垣間見ることができ、その大きさを十分に味わうことができます。霧は観光客を失望させるかもしれませんが、私は違います。(2002.Dec.当時の記事)
source: https://web.archive.org/web/20021212122744/http://www.brucebelltours.com/html/gooderham_bldg_.html
Doors Open Toronto
Doors Open Toronto- ドアーズオープントロントは、トロント市にとって建築的、歴史的、文化的、社会的に重要な約150の建物が、年に一度、その扉を一般に公開する無料のイベントです。
Doors Open Toronto– ドアーズオープントロントは、2000年にトロント市がミレニアムプロジェクトとしてヨーロッパをモデルに開発したもので、これまでに170万人以上の市民や観光客が訪れています。あらゆる年齢層の人々に、トロントの歴史を学び、参加し、トロントの建築遺産を祝う機会を提供しています。
トロントがこの種のプログラムを開始した北米で最初の都市です。参加している多くの建物では、ガイドツアー、展示、ディスプレイ、アクティビティなどを企画し、来場者の体験を豊かにしています。
ほとんどの建物は、土日ともに午前10時から午後5時まで開館していますが、一部の建物は開館時間が限られています。
※COVID-19パンデミックの影響で、2020年と2021年の開催は中止となりました。
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Gooderham Building- グッダーハム・ビルディングの名前の由来
Gooderham Building- グッダーハム・ビルディングは、父から受け継いだ上記事業のオーナーである George Gooderham- ジョージ・グッダハム(1830-1905)にちなんで名付けられています。
Bruce Bell– ブルース・ベルと Elan Penn– エラン・ペン著書の 「Toronto.A Pictorial Celebration」(下記画像の書籍)によると、フラットアイアンは、建築家である父が Gooderham and Worts Distillery- グッダハム&ウォーツ蒸留所を建設した David Roberts Jr.- デビッド・ロバーツ・ジュニアによって、 Romanesque Revival style- ロマネスク・リバイバル様式で設計されたといいます。
Toronto: A Pictorial Celebration ハードカバー – 2006/1/30 英語版 Bruce Bell (著), Elan Penn (著)
受賞歴のある劇作家・歴史家のブルース・ベル氏と著名な写真家のエラン・ペン氏の案内で、トロントの魅力的な街並みを歩いてみましょう。初代国会議事堂のような重要なものから、ホッケーの殿堂のような観光客に人気のあるもの、有名なCNタワーからナイアガラの滝まで、これらの80の場所は、歴史ファン、スポーツファン、文化を求める人、自然を愛する人、買い物をする人まで、何かを提供します。ベル氏は、この街の背景や、先住民が使っていた質素な水場や狩猟場から、厳しい近代性と豊かな多様性で有名な街へと発展していった様子を見事に物語っています。帝国都市の発展を辿り、偉大な教会や政府機関の建物を探索し、豪華でモダンなホテルにチェックインし、トロントの多くの大学、最大級の高さと歴史を持つ観光スポット、最もエレガントな地域を一度に楽しむことができます。
2024年2月グッダーハム・ビルディングが落札
2024年2月、トロントのランドマークである Gooderham Building-グッダーハム・ビルディング (Flatiron Building-フラットアイアン・ビルディング)が、1540万ドルで落札されました。グッダーハム・ビルディングは取り壊されるのか?購入者は?今後の動きは?今トロントに起こっているその背景と共に、気になる情報をご紹介しています。
→ フラットアイアン・ビルディング、グッダーハム・ビルディングが落札
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